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がんばる後継者、大いに語る 連続講座

 恒例の玉川民商の連続講座。今年のテーマは『がんばる後継者』――5日間で13名の若い後継者のみなさんが、元気に思いを語りました。

胸張ってつがせたい

 (大工)…うちの長男が「継ぎたい」と言ってくれていて、すごくうれしいです。だけど、大工の手間が他の下職さんに比べて、ほぼ変わらなくなっちゃった。もうちょっと手間、賃金が上がってくれたら、胸張って、「あと継げよ」って言えるようになるかなって思います。

努力が自信と喜びに

 (中華調理)…(料理長である父親の)下についてまだ5年ぐらい。毎日怒られて、くじけそうになったりしましたけど、お客さんに料理を出したときに「美味しかったです」って言っていただき、くじけそうになったときの気持ちが全部ふっきれるぐらい喜びになりました。

ブレない腕で

 (中華料理)…つき合いのある社長から、「がんばりな。とにかくブレないでやりなよ」って言われ、「うちの亡くなった親父もそういうこと言ってたよな」と思い、とにかく前を向いて、1年1年勝負だなと思いながらがんばってます。

自分の力で自由に

 (縫製)…サラリーマンのときのほうが給料はよかったですけど、自営業のほうがストレスは少ない。サラリーマンのときは切羽詰まってて、やっぱり自由になる時間のほうが、ぼくはよかったです。

机の勉強とはちがった

 (建築)…現場っていうのは、机で習ったこととはまったく違うので厳しかったです。 工務店は朝早くて、夜は明日の段取りやったり、見積もりやったり請求書を書いたり。ただ、父も含め、周りの大工、下職さん、問屋さんが叱咤激励したり応援してくれたりしたおかげで、くじけず、今のいままで続けてこられました。

ケンカもして

 (機械設計・製造)…もともとモノをつくったりするのは好きだったんで、「そういう方向の仕事をしたいな」という時期があっても、うちの親父は「そんなもん食っていけねえだろ」って頭ごなしに。ケンカをして。あるときはけっこう反発して、いま考えると、うまくレールに乗せられちゃったなと思います。

五輪後、仕事どうなる?

 (建設)…オリンピックなどの工事が終わったときに、行ってる作業員たちが、また都心に返ってきたときに、どうなるの?今その人たちがいないからまだ仕事があるけど、その人たちが返ってきたら、また厳しい情勢になってくるのかなと不安です。

このまちに根ざして

 (日本そば)…うちの母と父がやっていました。地元で飲食店をやってるっていうのは、地域の顔が見える、地元の情報とかもある程度はわかってくるっていう商売です。 また、お客さんの要望を細かく聞けるところは、大手よりは自由にやれて、喜ばれるところもやりがいありますね。

つねに新しい情熱を

 (カメラマン)…歳がいくと、「古い」感じと思われちゃうので、仕事がどんどん少なくなっていきます。年齢重ねていっても、「古く」ならないよう、いまがんばっているところです。 若いときに比べて、情熱のモチベーションをキープするのがけっこう大変だったりするなって、歳をとってくると思いましたね。ルーティンワークになると「古く」なっちゃうので、気を付けています。

出会いはチャンス!

 (プレス加工)…ここに入りまして、今年で37年目。取締役工場長を15年間勤めてまいりました。 不況のとき、懇意にしている営業さんから海外の部品の仕事をもらい、現在の売上の中心にたどりつきました。ですから、人間との出会いが大きく弊社を進化させたと思っています。 どんなところでどんな人と会うか、どういうタイミングで、どんなチャンスが来るかだと思い、新しいものを探していくと、必ずやそういうチャンスがふたたびやって来ると信じて、現在も邁進しています。

国産品にこだわり

 (青果)…母と父が1959年に青果業を開業。父が急に亡くなってしまいましたが、来ていただいているお客様がいるので、「やろう」っていうことで、母と二人でやって います。おいしいもの、身体に良いものを考え、なるべく国産品にこだわってやっております。とくに野菜は、国産品にこだわってやっています。

やりたいことやらせたい

 (建築)…10代のときはいろんな仕事もやって、20代になって、ある程度仕事の中身が見えて、父親の仕事も苦戦している部分もあったんで手伝ってあげるというところから始めて現在にいたるんです。  後継者という問題は、本人が納得してするのであれば問題ないと思います。逆に、本人が「やりたい」って言わない限りは、やらせるつもりはありません。自分でやりたいことは、自分ができなかった分、子どもには身につけてほしいです。

人間らしい本来の時間を

 (仏壇販売)…創業してから、もう50年ぐらい。親がやっていた会社が不渡りを出し、貸しはがしにあい、わけのわからないまま商売を継ぐかたちになりました。ただ、小さい頃から見ていたので、商売のことは好きといえば好きでした。 まずは資金繰りのたたかいが始まり、一番きつかったのは職人さんたちに支払いができなくなったことと、お金を借りてたお金の処理。無我夢中でやってきただけです。 時代が異常な速さで変わってきているので、それにいかに、この商売も合わせていかなくちゃいけないかなって、今とても考えてます。 ただ、最後は、「人と人」とになってくると思いますので、人と人とのつながりを大切にして、うちの商品をわかってくださるお客様に対しても一生懸命、「ああ、良かった」と思っていただける商品を用意していきたいなと思っています。



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